simple things of simple days

気ままな言葉ばかりです。

Alina Zhdanova ジダーノワ アリーナ
映像作家 / グラフィックデザイナー

Monochrome Design
Alina Zhdanova - ARTIST


5年前の頃

「あの忌まわしい記憶から5年がたちました。」

みんなが言っているけれども
今回はそれを私の口から、
私の個人的な気持ちを込めてそれを言いたいと思う。



ブログを書き始めだけど、まず第一のテーマがとても重たく、冷たいものですが、お許しを。



3.11がなければ私は原発の怖さも知らなかったし、興味も持たなかった。
チェルノブイリの事故だって私にとっては小説の話。
「こんな怖いことがあったんだよ」
と言われてふーん、と思っていただけ。

でも5年前、実際に恐ろしいことが起こり、その後テレビ、インターネットがハイジャックされた。
ぽぽぽぽーん、とかいうふざけたCMとそれにのっかったふざけた動画、
最初は事故のニュース、その後に津波のニュース、そして次は原発事故のニュース、そして放射能のニュース。
ニュースニュースぽぽぽぽーんニュース死亡者何名行方不明者何名ぽぽぽぽーん、とかなんとか。
今はそんな記憶も遠い。でもとても怖かった。日本にいたくないと思った。
半年後、日本から出てったわけですが戻ってきました。
やっぱり自分のルーツは日本なわけで。

原発、再稼動反対です。
エレルギーがどう、とか環境がどう、の問題よりも
私はもし家の近くに原発があって、そこが事故を起こしたとしたら
一生帰れなくなる、今の仕事が一瞬でできなくなる、そんなことってあっていいのか。
という思いが一番強くて、反対です。
そんなことを考えて、電力会社を見直したい。



ちょうど5年前、地震のとき、私は狭い一人暮らしの家にいた。
寝ていたかネットで誰かと話していたか。
ちょうど鬱が迫っていた時だと思う。ストレスと暴飲暴食で一気に太っていってた頃。
震災と原発事故により、その鬱は加速していった。
いつもだれかに見られている、いつも盗聴されている、誰かにつけられている、見張られている、
そう感じながら怯えて暮らして
人に迷惑かけちゃいけない、人に迷惑をかけてるんだ、自分は何も出来ないんだ、
そう信じこんでいた時期。
ああ怖い。
催眠ですね。

それこそ治療のため実家や友達に迷惑をかけてしまったけど、重症のときから半年ほどかけて回復。
携帯も使ってなかったことが良かったこと。
はじめて「回復した」と全身全霊で思えたのは今のパートナーと両思いになってから。
感謝すること、
感動すること、
幸せでいること、
そういったことを教えてもらったので
一生をかけて恩を返してあげたい。
ありがとう!!!




私の3.11は、そういう記憶が一気に押し寄せてくる。
あの恐ろしい記憶は、今の幸せの土台になっているのかもしれない。
たくさん泣いて、たくさん怯えて、弱りに弱ったけど、
そのおかげで今は少し強くなれました。

ラブ!