モノクロデザインのwebサイトを更新しました
ずっとダサくてダサくて、んもうどうしよう!
と思っておりましたが、ついに更新しました。
そしてブログ上部にもリンクを載せました。
格好良くなりましたよ!こちら↓ ぜひ御覧ください!
本当はずっとデザイナーさんにお願いしたかったのだけど、
今お仕事がなさすぎて金欠なので残念ながら自前です・・・。
というわけで、
お仕事募集中です。
宜しくおねがいします。
英語ですがアーティストページも更新しました!
見やすくなってるはず。
↑こちらもよろしければ御覧ください。
いぬ。
ポスト・インターネットの10年後
2018年の今現在、インターネットは日常の中にあり、生活を支えるものであり、更に一番使われているコミュケーションのツールである。
アートの世界では、2008年にマリサ・オルソンが「ポスト・インターネット」という言葉をインタビューで良い、それはその時代のアートを語っていた。しかし私も含めて90年代以降に産まれた者たちにとって、今ではもう理解し難いものだ。
「インターネットの前と後」というのは我々が産まれてくる前のことで、残念ながらそれは過去である。幼少期から義務教育の中にPC授業があり、ネットリテラシーを学んできた。何かを調べたいときには検索エンジンがあり、わからないことはほとんどキーボードをたたくことで解決できた。
自分の携帯が手に入ると、携帯からHTMLを打ち込み、ホームページを作ったり、SNSを介してネット上のコミニュケーションが若者の心を掴んだ。様々なソフトが生みだされ、UIが改善し、より簡易化されて流行の中に入ってきた。
「オンラインとオフラインの区別」は、携帯電話やスマホの普及により、そもそも考えられることもなくなった。
ポスト・インターネットという言葉が出てきてから10年、今の時代を語る言葉は何だろうか。
続きを読む地獄の生理痛
タイトル通り、地獄の生理痛について。
生理痛は人それぞれ痛みが違うものです。ちなみに私の場合、
超絶地獄最悪無理激痛拷問阿呆糞苦痛死ぬエグい地球滅びろ人類滅びろ
て心の中で叫ぶくらいの苦しみです。実際には叫びません。苦しすぎて叫べません。
痛いを通り越して訳がわからないくらい苦しみまくります。苦しみのあまり泣きます。
歩けないし、立てないし、座れないし、寝ることすら苦しみです。身体から離脱したい。
例えるのなら
満員電車の中、朝ごはんを食べずに出て貧血を起こしてしまって、なおかつ人生最大級の下痢になったとします。次の駅まで30分かかるとしましょう。
その冷や汗を想像してみてください・・・それが生理痛です。(わたしの)
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制作途中の覚え書き
ずっと頭の中にあった考えを、いろんなきっかけがあって作品に落とし込むようになってきました。
「A MONSTER」アニメーション作品です。
いつも一人で制作をしていて寂しいので、特設ページをつくりました。 メモとか写真とか、そういったものをここに貯めていこうかなと思っています。
さっそくテーマ的なものをどうまとめていこうか、考えていきたいと思った覚え書きを載せました。
テーマであり、タイトルとして名付けた「モンスター」という言葉は、人にとってよくわからない異質なものを指しています。恐ろしい、怖いといった感情と、それがいったい何なのかが理解できないもの、もしくは醜いものに対してよく使われているように思います。つまりはその人の理解する範囲での「人間」ではないということです。これは私自身が日本に住みながら感じる疎外感と近いところがあるのです。
自分自身に対して思う、周りと違う異質感。理解する範囲の人間から離れている、この身体という容器がモンスターなのです。外見という容器をなんとか住む世界で正当化させる手段が、モデルという仕事でした。ファッションはこのモンスターと相性が良く、ファッションとこの容器をあわせて見せるとなんとか人の理解する範囲の中に収まり、恐怖の念は薄らぐように思えてきます。
身体を容器として捉え、ファッションが持つ人間らしさやその中にある流行と安心感というものに対して、容器であるモンスターの目線で見つめたいと思います。
まだまだ考え中です。
私が作品を作るとき、自分の経験や体験をヒントにキーワードやイメージを集めていきます。それぞれが結びついてきたな、と思ったらどこがどう繋がっているのかをまた考えます。その間にテーマと近いであろう本を読んで言葉を増やしたり、新しい考えに触れてみます。
それが繋がらなくて解けてしまって頭の片隅に置いておくことも多々ありますが、(というかほとんどがそう)今回は結び目がしっかりしてきたような感覚にあるのでアウトプットをすることにしました。
テーマを説明するとき、今はまだ一人称ですが、作品が自立するときには三人称になります。私はそれが大事だと思っていて、鑑賞者を置いてけぼりにせず、作者が自己満で終わらないためにしっかり考え、その考えたことを作品にしっかり置いてくると、「私」から作品が離れていって自立するのです。だからこそ、下手な付け足しの説明文のようなキャプションはいらないし、自立した作品というのは説明がなくても強いのです。