simple things of simple days

気ままな言葉ばかりです。

Alina Zhdanova ジダーノワ アリーナ
映像作家 / グラフィックデザイナー

Monochrome Design
Alina Zhdanova - ARTIST


「謙虚」とは

最近思っていることについて

 

「人は謙虚であるべし」

という言葉、誰が考えたのか、よく聞きます。

 

前までこの言葉、嫌いでした。

でも最近、私の中で謙虚という言葉の意味が変わってきてるな〜

と思っていて、何が変わったのかを自分のメモ的に書こうと思っています。

 

 

前まで「謙虚な人」という意味として思っていたのは、

お世辞的に「私なんて〜〜〜」

て言う人。

 

使用例①:

「英語うまいですね」

「いや〜〜私なんて全然そんなことないですよ〜〜」

 

使用例②:

「おきれいですね」

「そんなことないですよ〜〜私なんて〜〜〜そちらのほうがおきれい(以下略)」

 

使用例③:

「賢いお子さんですね」

「うちの子なんて全然まだまだですよ〜〜〜そちらの(以下略)」

 

 

こういう会話って、本当に意味なく無駄なものだと思っているんです。

現実を見つめ、心からそう思ってるのならいいですけど。

でも、そもそも「私なんて」って言葉も大嫌いです。

 

特に使用例③なんて、子どもやパートナーに対して言ってること多いですけど、

そばで聞いていたら腹立たしいです。

相手が何を思うか全く考えられてない発言です。

 

特に私は、言われたことをそのまま受け止めてしまうので、例えば、

「英語どれくらい話せるんですか」

と聞いて

「いや、全然しゃべれません」

なんて答えられたら、

じゃあ英語下手なりにがんばってサポートしてあげないと!

と思うじゃないですか。

 

それが、実はむっちゃくちゃ英語上手くて、

後で聞いたら帰国子女だったりすると、

いや、「英語話せない」の意味wwwwww

と思ってしまうわけです。

 

 

ずっとこれらを「謙虚」の意味として認識してましたが、

これは謙虚ではなくただの卑下ですね。

とくに最後の例なんて事実を全く伝えられてないので

コミュニケーションの欠如とも言えるかもしれません。

 

 

私は人にへりくだることや、自分を下にみることが嫌いです。

そして自分を下に見られることも嫌いです。

 

日常でも、仕事でも、お互いがサポートできるような関係を築きあげていきたい。

自分と相手、それぞれの良いところを認め、

悪いところを補えるような関係になりたい。

と思うのです。

 

ずっと私は、謙虚な人間になんてなりたくないと思ってました。

「私なんて」という呪いのワードは絶対使わない。

事実を受け入れ、それを相手に伝えること。

相手より低い姿勢ではなく、相手と同等の姿勢であること。

それらを大事にしてきました。

 

 

最近知った謙虚は、すこし思っていたものと違いました。

 

 

時間を守ること

約束を守ること

挨拶をすること

勉強を忘れないこと

簡単に怒らないこと

他人を敬うこと

 

これが謙虚であることに等しいと知りました。

 

説教くさい自己啓発的なのって好きではなくて

自分大好き人間としては、へりくだるとかできなさすぎて

こういうの言う人が近づいてきたら逃げる時もあるのだけれど

 

これらの言葉は何かぐさりときたのです。

 

時間を守ること

 →守ってる?あやしい。

約束を守ること

 →守ってる?あやしい。

挨拶をすること

 →挨拶はしてる。うん。

勉強を忘れないこと

 →勉強はしてるかな、好きだし。

簡単に怒らないこと

 →これも大丈夫。たぶん。いや、どうだろう。

他人を敬うこと

 →これも大丈夫なはず。怪しいときもあるけど、近づいてくる人には優しいはず。

 

というふうに、基本的なところが怪しいという点に気づいたのです。

 

 

これからは

「私なんて」という呪いのワードは絶対使わない。

事実を受け入れ、それを相手に伝えること。

相手より低い姿勢ではなく、相手と同等の姿勢であること。

そして謙虚であること。

 

私の謙虚の姿勢として、これを目指していきたいと思います。